わたしのふるさとのお話。

今週のお題「私のふるさと」




ブログなるものを開始して、初めて企画ものに参加してみる。



さて。「私のふるさと」。


私のふるさとは、山と海に恵まれた県の、中部谷あいにあります。


四角い県の、真ん中あたり。
わたしはそこの谷で生まれ育ちました。
18歳まで過ごしました。
良い事もたくさんあったのでしょうが、つらいこともたくさんあったのでしょう。
そうして私は18歳を迎えました。


反対されつつ、大学に進学しました。
進学直後、思いもよらない出来事に遭遇しました。
私の大学生活は2週間で終わろうとしていました。
助力を頂いたおかげで、なんとか、卒業しました。



神戸市の端っこにあるまちで、過ごした3年間。
とても良い思い出です。18年過ごしたまちより、大事な思い出です。
心身ともにつらい時期でしたが、とてもすきな街です、神戸市。


ちょっとだけですが、大阪に居つきました。
長い人生から見たら、ほんとにちょっとだけ。
いろいろありましたが、大好きになりました。大阪で過ごした時間も、心身ともにつらい時期でしたが、出来るならもう一度住みたい。



そして現在、生まれ育ったまちで働いています。
狭い狭いまちなので、いかんせん全てがすぐ広まってしまいます。良い話も悪い話も全てがあっという間です。




そのせいでしょうか、他人に冷たい街がすきなのは。


狭い谷には、すきな家族もいます。すきな場所もあります。
しかし、どれだけ住んでもどれだけ働いても実感がないのです。
「ここは、わたしのまち」という実感。


よく、旅行に行った帰りにいえが近づいてくると「帰ってきたなぁ」と思いますが、わたしはその時々で住んでいる家にその間隔を覚えます。
18年間住んだまちだからと言って、特別な「帰ってきた」感は希薄です。





ぼちぼち、新たなる準備です。

18歳からの7年間(もう7年も経ってる!)、どこか根なし草のような生活をしてきたと思います。
ふわふわとした生活でした。


今度も、根なし草的生活の予感はすれど、ヒヤシンスくらいに根は伸びそうです。
私にはきっと、根菜的に根を張る生活は向いていない予感がします。(24歳の価値観で考えると。)
60歳くらいになったら根を張って根菜みたいに生活したいと思うようになるのでしょうか。
それはまだわかりません。




どちらにしろ、この狭い小さな谷に愛着がわいてくるのは、去る時です。